2013年6月23日 (日)

数学の秘密の本棚

数学のパズルとエッセイが100位、オムニバスに並んでいる。わたくしが知っているものもある。読んで理解できないと悔しい。いろいろな発見もあった。例えばポアンカレは3体問題に解はないと証明したが、賞の対象になったのは最初に数学誌に掲載された解があるという論文であったという。など

イアン・スチュアート

ソフトバンク・クリエイティブ株式会社

2013年6月22日 (土)

三四郎

三四郎は1.故郷、2.大学生活、3.異性との世界の3つから成り立っている。自分の感覚と合っている。この小説の時代背景は日露戦争後で約100年前であり、自分の感覚が古いのであろう。村上春樹の小説は性は主要なテーマである。しかし漱石の小説には性は出てこない。教科書向けである。漱石の小説は抑制がきいていて、また文章は明快である。よし子、美禰子といった女性の気ままな行動に翻弄される三四郎が面白い。世の中はやはり理屈では動かない。郷里のお母さんの心配ぶりも可笑しい。三四郎が金を無心すると急ぎ用立てるのは今も昔も変わらぬ親心である。飄々としている広田先生の学問に対する造詣の深さは、この小説に深みを与えている。与次郎は俗っぽく、小説を楽しいものにしている。野々宮の真面目ぶりもいい。

夏目 漱石

青空文庫

2013年5月 6日 (月)

人間失格

自分を演じるというのは誰にもある。演じる部分をなくし本当の自分を知ることは可能だろうか。人は家族や仲間の中で期待される形があり、それを演じることで自分の存在価値を確認している。それを捨て自分のために生きることができる人は真の芸術家であろうか。富、名声、権力これらに無関心で真理を求められる人も中にはいるかもしれない。道化を演じることで周囲の人との摩擦を避け、酒と薬に溺れる。余人には無い、才能に恵まれた天才の苦悩は伺いしれない。

演説会を聞きに行った人々が、公式の場では素晴らしい、内容がある講演だと言っておきながら、個人的な会話の中では、それと全く反対なことを言う。これは良く経験することである。一連の話の中で全く正反対のことを言う人がいるが、何を言いたいのかわからない。

数学には、少なくとも証明には論理の飛躍は無い。それに比べ実際の人生は論理の飛躍に満ちている世界に思われる。「走れメロス」と「人間失格」は太宰の作品であるが、そこに共通点を見出すことは可能であろうか

太宰治

青空文庫

2013年5月 1日 (水)

草枕

知に働けば角が立つ、情に竿さしゃ流される、意地を通すは窮屈だ。とかくこの世は住みにくい。と始まるこの随想は歯切れがいい。文語体で、漢字もむつかしいが論理は明快で読んでいて気持ちがいい。過去はいつの間にか浄化され、その時々の苦労は皆忘れてしまうと言った人間の特性を軽快に論じている。詩歌や絵画は俗界を超越したものであり、物事の本質なる美や真実を引き出せるのが芸術家であると論ずる。西洋と東洋の詩歌の比較も面白い。茶碗や書に対する好みも書かれている。女性論もある。それはあっさりしている。洒脱一辺倒かというとそうではなく、適度に俗なことも書いている。最後の部分の文明批判は特異な感じがする。これから戦地に赴く久一さんが乗る汽車は怪物のように描かれている。確かに自然の中の人間と汽車の中の人間を比較すれば、汽車にのっている人間はそうでない人間の何十倍もの力を持つ。そして容赦なく前へ前へと押し進める。文明は人を追い立て、人を人でなくしてしまうと批判している。この作品は漱石30歳のころのものだということであるが、漱石の鋭さを明快に示している。

夏目漱石

青空文庫

2013年4月29日 (月)

色彩をもたない

本題は「色彩をもたない田崎つくると、彼の巡礼の旅」である。村上春樹の最新作であり、数ページ読んで気にいり、購入した。1Q84はわたしが感ずる現実と物語のなかの現実、幻想が入り乱れ、それはそれでよかったが別世界の物語であった。今回の作品はほとんど全てがリアルと言って良いと思う。そこにはリトルピープルは出てこない、月は1つである。また出てくる人も普通の人々であり、スーパーマンではない、大金持ちではない。しかし、そこはやはり春樹の作品であり洒落ている。スマートである。

概観はともかく、巡礼がこの作品の主要なテーマである。突然仲間外れにされてから16年経ち、その原因が何であったたかを探しに行く。巡礼に出かける動機は沙羅である。彼女との新たな生活を始めるのに必要な巡礼である。

高校時代というのは子供から大人への最後の時期であり、友情という言葉が似合う。純粋であり、理想が実現する世界があると考える。友情は永遠に続き、いつか理想は現実となると。しかし物理的な距離のよりそういった友情は次第に色褪せてゆく。友情が友情であるためには努力が必要である。つくるがシロのスケープゴーストにされたのは他の4人が名古屋で彼だけが東京であったためと思う。しかし、そのためにつくるの人生は変わってしまった。もちろん彼が仲良しサークルのリーダーであったならまた違った結果になっていたと思う。しかし従順な彼はそいった裏事情は知らず、自分を責めてしまう。しかし他の4人も無傷とはゆかず、少しずつおかしくなってゆく。彼らの関係は修復されずいつしか崩壊しそれぞれの道を歩む。それはこの5人に限らずほとんどすべての人に共通の出来事だ。

だれも、それぞれの思いで対応し、他の人への思いはなおざりにされる。物理的に離れていればなおさらで、身勝手な思い込みが生まれる。そして年月は各人の思いを昇華させる。ふたたび会って話せば美しいものだけになる。

つくるは最後にいう。人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷とによって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものだ。

文藝春秋

村上春樹

2013年2月 2日 (土)

変身

自分が朝おきたら虫になっていたら家族、周りの人たちはどんな反応をするだろう。虫は極端でも、自分の地位が低くなっていたら、あるいは高くなっていたら。

これはそんなことを考えさせられる。朝起きたら虫になっていたグレゴールは、勤務先の銀行はもちろん家族からも、爪弾きにされる。グレゴールが、給料を運んでいたうちは大切にしてくれた家族は、最初は驚き、悲しみにくれるが次第に無視するようになる。そして虫になった彼が死んだあと、それまでのことを忘れるように他の町へ引越しをする。何もなかったように。

しかしこれが一般的な人々がすることだろう。だから、動けなくなった家族をいたわり最後まで面倒をみた話を見聞すると感動してしまう。

カフカ

青空文庫

それから

前半はのんびりした展開である。世の中斜めに見ている青年が、仕事もしないで親の援助をたよりに、何、不自由なく暮らしている様が描かれている。

代助が、真剣に自分の人生を考えたのは親から結婚を迫られた時である。それから逃げずに代助は取り組んだ。その結果は親からの援助はなくなり、兄からも見捨てられた。自分自身の手で金を稼ぎ、人生を開拓しなくてはならなくなった。

それまでに代助の生き方からすれば、資産家の奥さんを貰って何不自由のない人生を送る方法もあったと思う。俗物からすればなんでそんな苦労をするのかと思う。小説に中に絶壁に挑戦するクライマーの話が出てくる。命を落とす人も多い。しかしそれに挑戦するのはそれを克服したひとでないと味わえない達成感があるためと思う。

代助が、三千代のために人生を掛けたのも、それをしないと彼の人生が成り立たないたえであったろう。人生には立ち止まって考えざるを得ない時が何度かある。その時ごまかさないで自分の人生を決められたら素晴らしい。たとえそのために煉獄の苦しみを味わうことになっても。

夏目漱石

青空文庫

2011年9月15日 (木)

生活のために妾になったお玉のはかなくも切ない恋物語である。お玉は高利貸しの末造に見込まれて妾にはなったが、当然のことながら愛情はない。末造の欲望を適当に受け流す術を身につけ、毎日、家の前を通りかかる医学生の岡田に恋心を抱く。そして末造の留守に岡田に声をかけようとするが、たまたま、岡田一人ではないため声をかけられず、そのまま恋は終わりを迎えてしまう。岡田はお玉のことを何と思っていたのだろうか。美人が自分のことを好いていてくれるのは分かっていたので悪い気はしなかったと思う。しかしドイツへの国費留学を控え、ややこしい問題に手を出したくなかったのが本音とおもう。恋は理屈ではない。刹那に燃え上がる情念である。もう少し状況が整っていればあるいはお玉と岡田は結ばれたかもしれないが、そうならないのが世の常であろうか。

森鴎外

新潮文庫

2011年8月 9日 (火)

シンメトリーの地図帳

バッハ、モーツアルト、ベートーベンの音楽の違いがシンメトリーにあるとはとても驚きでした。バッハの音楽が形式的なのはシンメトリーを駆使して作られたような音楽で次の予想がしやすい。モーツアルト、ベートーベンと時代を経るに従い古典形式から抜け出し、情念を表現するような音楽に変わってゆく。

群論が5次方程式の解とかかわっていることを知り、ガロアの発想の素晴らしに改めて感動しました。また物語の終盤でシンメトリーの地図帳と数論が結び着く所も興味深く読めました。現在の物理学は対称性を基本概念に作成されているという。

実にユニークな人がたくさん出てきて飽きさせない。とくにコンウェイは興味ひかれる人です。数学の才能は素晴らしいが、家族思いで人間臭いところがいい。また数学者が喜びを感ずるのはフィールズ賞を受賞した時でなく、問題の糸口を見つけた時という。これは数学者に限らずどのような分野の人でも感じることではなかろうか。

いつかアルハンブラ宮殿宮殿に行ってこの本にあるシメントリを確かめてみたい。ソートイの素数の音楽も素晴らしかったがこの本も至福の時間を与えてくれた本でした。

シンメトリーの地図帳

マーカス・デユ・ソートイ

富永 星 訳

新潮社

2010年5月30日 (日)

海辺のカフカ

15歳の少年が自分探しの旅にでて成長する物語である

カフカ少年が4歳の時に母親はなぜか姉だけを連れて家を出てしまう。15歳になったカフカは家出し四国の高松の図書館に住み着く。そこで佐伯さんという彼の母親かもしれない女性と知り合う。また道中でさくらという姉かもしれない女性と出会う。物語はこの2人の女性とカフカの父親を殺すナカタさん、ナカタさんの面倒を見る星野さんそして図書館の責任者である大島さんを軸に進む。佐伯さんは美しく、知的だ。しかし彼女は20歳で恋人と死別し燃え尽きてしまう。その後、カフカ少年の父親と結婚するが惰性で過ごしている。ギリシャ神話によれば昔、3種類の人間がいた。男男、女女そして男女である。ところがある日、神の怒りにふれ真っ二つに切り裂かれてしまった。そのため世のなかには男と女しかいなくなり片方はもう片方を求めてさまようようになってしまった。カフカ少年は母親の愛を求めている。しかし物語に出てくる人たちは皆自分探しをしている。われわれは何者か。どこからきてどこにゆくのか。

一度は自殺しようとしたカフカを現実の世界にもどしたのは母親の愛とカフカの成長であったと思う。物語の最後の方でサーファーをしている大島さんのお兄さんが言う。ハワイにトイレット・ボウルというスポットがある。いったん引き込まれるとなかなか浮き上がってこれない。しかし海のそこでじっとしていなくちゃいけない。あわててじたばたしたところで何にもならない。こんな怖いことはないがこの恐怖を乗り越えなくては本物のサーファーにはなれない。

村上春樹

新潮文庫

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