2015年5月25日 (月)

キレイゴト抜きの農業論

定年退職後、農業をやるのを後押ししてくれる本だった。わたしの両親は60年から70年間も農業をしている。マイペースとは思うが、決まった休みもなく本当によく働く。農作業の方法、例えば種の蒔き方や収穫の方法については良く工夫している。また作物の生育状況をまめに記録している。しかし経営者ではない。ひたすら良い物を作るという職人気質である。そういった職人がやってこられたのは日本農業政策が守ってきたためである。競争の無い世界で生かさず殺さずといった所か。久松によれば日本の農業に今、最も必要なのは経営者である。良い経営者であれば農業は儲かると。しかし農業以外でも良い経営者でないと儲からない。有機栽培についても多くのページが割かれていた。作物の本来の能力を生かすのは有機栽培というのが主旨と思うが、本当に農薬は不要なのか?これについては更に調べる必要がある。

久松達央

新潮新書

 

 

2015年5月18日 (月)

13歳の娘に語るガロアの数学

13歳の娘に語るガロアの数学

前書きにこの本は世界で一番やさしいガロアの群論の解説書とあった。また筆者はこれまで何度か群論に挑戦し、ついに理解した。普通の人に理解できるよう自分の

娘を相手にこの本を書いた。だから俺にもガロアの数学が理解できるはずという気持ちで読み出した。高校の数学の本に5次以上の方程式は解けないのを発見したのはガロアだと書いてあった。できる事ならどうしてそうなのかをずっと知りたいと思っていた。2次、3次方程式の根については復習みたいなものだったが、群、体の概念は全く無かったので新鮮な驚きを覚えた。3歩前進2歩後退でなかなか進まなかった。対称群、正規対称群、コセット、剰余群、正規対称群があれば群の構造が2階建てになること。方程式の構造。群の位数が素数であればぐるぐる置換になること。単拡大定理。ガロア群、ガロア拡大と進み、結論である「もし、これらの群がそれぞれ素数個の順列からなるならば方程式は根号によって解けるだろう。そうでなければだめだろう」になる。5次方程式以上は正規対称群がないためべき根が無い事。しかし、べき根が無いからと言って、5次方程式をデカルト座標系にでプロットした場合、その曲線がX軸と交わらないという事では無いらしい。ガウスn次方程式は複素数の範囲内にn個の解を持つ事を証明している。体がラグランジュの頃から存在した集合である事は驚きだった。集合はカントールが発見したものだと思っていた。本書の最後に数と群に関するイメージトレーニングがあった。群と体を結びつける、位数が素数であればぐるぐる置換になり、体のなかに存在する事が保証されべき 根が求められる。こんなことを思い付くなんてガロアは凄い。

金重明

岩波書店

2015年4月 5日 (日)

夜と霧

とても大きな感動をもって読み終えた本である。恐らく生涯の中で出会うことができる最良の部類に入る本である。明日をも知れぬ命そしていつまで続くかわからない強制収容所から生還できたフランクル教授が説く人生論はとても力強い。ニーチェの言う「何故生きるかを知っているものは、ほとんど如何に生きるか、に耐えるのだ」ように未来を信じたひとが強制収容所を生き延びた。では何故いきるのか?全く拠り所を失った人々の典型的な口のきき方は「私はもはや人生から期待すべきものは何ももっていないのだ」。ここで必要なのは生命の意味につての問いの観点変更であるという。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるのかが問題でなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているのかが問題である。われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われたものとして体験されるのである。人生は毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである。

「恩讐の彼方に」の中で市九郎(了海)が青の洞門を独力で掘り続けたのと通ずると思う。またケネディの有名な演説とも共通するものがある。

ヴィクトール・E・フランクル/みすず書房

耄碌寸前

森鷗外の長男、於菟の文と最初に出会ったのは水戸市の「大人日和」とか言う雑誌に有った吉田さん(吉田石油会長)のエッセイだと思う。エッセイの中で引かれた文に興味を持った。医学者である於菟から見ると「生理的には男性よりも女性が上位にあると思っている。寿命も長く、病気への抵抗力もあり、しかも生殖機能において子孫を生み出すという絶対的な優越性をもっている」「男性は本来優秀であるがために立派な仕事を残すのではない。むしろ生物学的に劣っているので、その劣性を挽回するために仕事に打ち込むのだ。男性から仕事を除いたとき、彼は首輪を外された犬のようにみじめになる。」「男性は思春期になると女性の裸体を見ただけで精神の平衡がすべて失われ、その場で欲求を満足させなければブラストレーションが行われ、心理的に不幸になるという宿命を背負わされている。」など、

思い当たる考察が引用されていた。ただ、「なきがら陳情」は何処で読んだ覚えがある。文豪の長男としてうまれ於菟が、抑制の効いた達意の文で父のこと、日常の何気ない事、人生に対する考え方を書いている。抑制は効いているが血の温もりを感じる。父への深い尊敬と文豪の家族、日常のエピソードを紹介することで文豪を世間に良く理解して貰いたいという思いが伝わる。

 

森 於菟

みすず書房

2015年1月31日 (土)

数学を変えた14の偉大な問題

円積問題、フェルマー、リーマンなど解がわかるまで2000年、数百年、かかったもの、以前として解がわからない問題がある。解がわからない問題の方が多い。今後も偉大な問題が作られて行く。1兆までは正しいがそれを超えると成り立たない例は面白い。

イアンスチュアート

数学を変えた14の偉大な問題

sbクリエティブ(株)

ライ麦ばたけでつかまえて

ヴィヘルム・シュテーケルの「未成熟なるもののしるしとは大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしととは、大義のために卑しく生きることを求めることだ」の言葉を忘れないようにしようと思う。

それにしても、17歳の少年と大人の世界の衝突の描き方はすばらしい。思春期の頃を思い出すと確かに大人の世界の何もかもが気に入らない。ホールデン・コールフィールドは大人の世界がすべてインチキに見える。そんなホールデンにも尊敬できるひとが何人かはいてアンソニー先生はその一人だ。冒頭の言葉はアンソニー先生がホールデンに忘れないで欲しいと紹介したものだ。大人の世界は地道よりも効率を本音よりも建て前を重視する世界だ。寮の生徒が飛び降り自殺をしたときアンソニー先生はその子を抱きかかえ本気で心配した。そのほかの生徒や先生は遠巻きにしていただけだ。

ホールデンはちっちゃな子が好きだ。頭のいい妹がホールデンが学校を退学になったのに気が付き、どこか遠くて行ってしまうのを察して止めようとする。そして彼の中でも何かが起こって家を出るのはやめる。

そして崖があるライ麦畑で遊んでいるこどもたちが崖から落っこちそうになったら片っ端から救ってあげるそんな仕事をしたいと思う。もちろん、ホールデンは自分が崖から落ちそうな子供であることを知っている。大人の世界をインチキとみていながら大人に相談するのはやはり大人の世界の入り口にいるからか。

そういえばクラッシクを口笛で吹く話が出てくるのはこの小説だったのを確認できてよかった。どうでもいいことだけど。

村上春樹

J・D サリンジャー

2014年9月 4日 (木)

数学を使わない数学の講義

数学的に数量化されているとは

①推移律②四則演算③連続が満足されていることが必要という。

論理発想の基本:存在の定義、存在する事についてのみ真偽を問う意味がある。数学は公理の上に成り立っている。公理が異なれば全く別の数学になる。

ギリシャ数学が、エジプトやメソポタミヤなど他の数学に比べ、優れているのは公理を基にくみたてられているからという。

数学は言うまでもなく論理の学問である。ユークリッドの平行線公理を変えてみたが矛盾がが生じず、非ユークリッド幾何学ができたという。たった5つの公理でユークリッド幾何学が構築されているには素晴らしい。公理を作ること、公理そのものを見直すなんてすごいことだ。

数学の定理はギリシャ以来学者の努力によりそれなりの発展は遂げてきた。しかし本当の意味で偉大な発展を遂げたのは19世紀末から20世紀の初めにかけて解析学が公理化されその公理主義の方法で再構成されてからという。

数学はこれからも形を変えて発展していくのだろうというのが分かった。

未解決な数学の問題は公理を変えることで解決できるのか

日本人の発想は論理的ではないこと。場の空気を読むことを推奨され、事実に基づいた判断をしたがらない。

小室 直樹

ワック出版

2013年1月 4日 (金)

不完全、不確定、不可能

コンピュータシステムの開発において、矛盾のない仕様を作成することは可能であろうか?本書によればゲーデルの不完全性定理では「論理的に矛盾のない体系には必ず、その体系によっては証明不可能な命題が含まれている」という。その体系にない論理を追加することでその証明が可能になることはあるらしい。チューリングはプログラムが無限ループするかどうかを調べるプログラムは作成できないことを示した。これには背理法が用いられており、本書では次のように述べられている。「プログラムPと入力Iが与えられるとプログラムPが停止するかループするか判定できるようなプログラムHが存在するとしよう。プログラムHの出力は判定結果だ。具体的には、入力Iに対してPが停止すると判定した場合にHは停止し、入力Iに対しPがループすると判定した場合にHはループする。ここで、Hの出力を検証してその全く逆の動作をするような新しいプログラムNを作る。Hが「停止」するとNは「ループ」しHが「ループ」するとNは「停止」する。Hはプログラムが停止するかループするか判定できるはずなので、プログラムNに注目し、Nへの入力はそれ自身を用いる。Nが停止するとHが判断した場合、Hの出力は「停止」となり、Nはループする。Nがループすると判断した場合、Hの出力は「ループ」となりNは停止する」実際の現場、あるいはプログラムではループしているかどうかは繰り返し数や経過時間で判断している。実用的のはこれで十分である。実用的には十分でも、数学的、論理的には不可能である。

コンピュータシステムの開発の効率化において、多くの人を投入しても、仕事が予定通りに終了しないことをしばしば経験している。本書ではそれを整備工場の例で説明しており、面白かった。PN≠Pや最適なスケジュールを数学的に解くことは可能であるか?本書では若い数学者は可能かもしれないとしている。

数学の証明の際、一般的には・・・である。という条件が付けられる。これはある体系ではという意味であり、ほかの体系では矛盾をきたすかもしれないという意味であろうか。数学的にも民主的な、独裁者がいない世界において、論理に矛盾がないことが肝要である。そのためには、多くの検証が必要ということであろうか。ペアノの公理で作成された数学体系はすばらしい。しかし、本書にあるように現在、未解決の問題のためには別な論理を入れることも必要であるかもしれない。

ジェイムズ・D・スタイン

早川書房

2012年8月17日 (金)

こころ

夏の休暇に読みたいと思っていた本です。高校生の頃から読みたいと思っていたがなぜか今まで読むことがなかった。

この前に「1Q84」を読んだ。「1Q84」ではセックスは挨拶代わりでするものであったが、「こころ」は愛、金、思い込みそして裏切りに関する人間の心理を見事に描いているがセックスのシーンは1つとしてない。扱っているテーマは2つとも同じといえるが、村上春樹の小説が現実と幻想の世界であるのに対し夏目漱石のそれが現実世界であるからか?

「こころ」の中で最も面白く、読めたのは「先生と遺書」である。お嬢さんをめぐってライバル関係にあったKが自殺したのはなぜか?お嬢さんと知り合ったのは先生の方が先であり、奥さんが先生とお嬢さんが結婚することを承知したのだから、仕方ないとは考えられなかったのか?また先生も自殺しなければならなかったのはなぜか?先生はKの遺書を最初に読みそこに自分の裏切り(恋の駆け引きを裏切りというかどうかも疑問であるが)に対する恨みつらみが書いてなかったことに安堵する。お嬢さんや奥さんに悪く思われたくないという気持ちと物足りなさがとてもよく描写されている。先生はKの自殺後、お嬢さんと結婚し学問に傾倒する。しかし、自分が、自分に正直であったKを追い込み、裏切り自殺に追い込んだ重みに耐えきれず自殺してしまう。人生はコントロールできるものと考えられる人だからそうしてしまったのだろうか?

それに比べ、先生や私を取り巻くおじさんや両親の俗物さの描写も面白い。自分の利益のためであれば、多少の裏切りや見栄は当然という普通の人々である。わたくしも後者の人々に属する。だからこそ先生や私みたいな時代があったことを懐かしく思うのかもしれない。

1Q84

Book1からBook3までの感想

面白い本である。高い人気を誇る小説であり、一度読んでみたいと思っていたが、読みだしてみると噂にたがず、あきさせないストリーであった。今住んでいる世界は唯一の世界なのか?それとも月が2つあるような別な世界があるのか?宗教とは人を救うのか?人をだますものなのか?カラマーゾフの兄弟にあったような問いかけ。現実とはなにか。勇気とは何か。現実から逃げだす人達が描かれている。弱い心を持つ普通の人たち。それゆえ共感を呼ぶ。スリリングな展開。飽きさせない。BOOK3でおわりなのか?1Q84から1984に戻ってきたので終わりでも良いのかもしれない。人の数だけ人生がある。見ようとしているものしか見れない。ここは見世物の世界。何から何までつくりもの。でも私を信じてくれらすべてが本物になる。われわれは遺伝子のキャリアに過ぎない。もしそれだけの役割であれば何で悩むんだろう。人生の価値とは何か。職務を全うすること。子供をそだてること?それだけではないだろう。豊かな人生とは何か?その人なりの生き方しかできないし、それはそれで価値があると思う。人生に正解があるとすればそれは他の人に迷惑をかけないことかもしれない。いろいろな読み方ができるし考えさせる本である。

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