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2013年5月 6日 (月)

人間失格

自分を演じるというのは誰にもある。演じる部分をなくし本当の自分を知ることは可能だろうか。人は家族や仲間の中で期待される形があり、それを演じることで自分の存在価値を確認している。それを捨て自分のために生きることができる人は真の芸術家であろうか。富、名声、権力これらに無関心で真理を求められる人も中にはいるかもしれない。道化を演じることで周囲の人との摩擦を避け、酒と薬に溺れる。余人には無い、才能に恵まれた天才の苦悩は伺いしれない。

演説会を聞きに行った人々が、公式の場では素晴らしい、内容がある講演だと言っておきながら、個人的な会話の中では、それと全く反対なことを言う。これは良く経験することである。一連の話の中で全く正反対のことを言う人がいるが、何を言いたいのかわからない。

数学には、少なくとも証明には論理の飛躍は無い。それに比べ実際の人生は論理の飛躍に満ちている世界に思われる。「走れメロス」と「人間失格」は太宰の作品であるが、そこに共通点を見出すことは可能であろうか

太宰治

青空文庫

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