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2013年4月29日 (月)

色彩をもたない

本題は「色彩をもたない田崎つくると、彼の巡礼の旅」である。村上春樹の最新作であり、数ページ読んで気にいり、購入した。1Q84はわたしが感ずる現実と物語のなかの現実、幻想が入り乱れ、それはそれでよかったが別世界の物語であった。今回の作品はほとんど全てがリアルと言って良いと思う。そこにはリトルピープルは出てこない、月は1つである。また出てくる人も普通の人々であり、スーパーマンではない、大金持ちではない。しかし、そこはやはり春樹の作品であり洒落ている。スマートである。

概観はともかく、巡礼がこの作品の主要なテーマである。突然仲間外れにされてから16年経ち、その原因が何であったたかを探しに行く。巡礼に出かける動機は沙羅である。彼女との新たな生活を始めるのに必要な巡礼である。

高校時代というのは子供から大人への最後の時期であり、友情という言葉が似合う。純粋であり、理想が実現する世界があると考える。友情は永遠に続き、いつか理想は現実となると。しかし物理的な距離のよりそういった友情は次第に色褪せてゆく。友情が友情であるためには努力が必要である。つくるがシロのスケープゴーストにされたのは他の4人が名古屋で彼だけが東京であったためと思う。しかし、そのためにつくるの人生は変わってしまった。もちろん彼が仲良しサークルのリーダーであったならまた違った結果になっていたと思う。しかし従順な彼はそいった裏事情は知らず、自分を責めてしまう。しかし他の4人も無傷とはゆかず、少しずつおかしくなってゆく。彼らの関係は修復されずいつしか崩壊しそれぞれの道を歩む。それはこの5人に限らずほとんどすべての人に共通の出来事だ。

だれも、それぞれの思いで対応し、他の人への思いはなおざりにされる。物理的に離れていればなおさらで、身勝手な思い込みが生まれる。そして年月は各人の思いを昇華させる。ふたたび会って話せば美しいものだけになる。

つくるは最後にいう。人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷とによって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものだ。

文藝春秋

村上春樹

明暗

自分が人からどう見られているかは気になることである。この小説は、自分と自分が話す人の心理状態をきめ細かく描写されている。一人では生きられない。しかし他の人と生活すると多かれ少なかれ軋轢が生じる。そのなかでどう塩梅をつけて生きてゆくかは誰にとっても関心事である。基本的には自分の利益を優先させようとするが、自分が置かれている社会的地位、家庭内での位置、そして親戚関係での位置づけがあり、上手く立ち回らないと、無用の摩擦を起こすし、とんだ災難にもみまられてしまう。そういった世の中をほとんどの人は、多少の自制をもって上手くわたってゆく。しかし、ほんの少しのすれ違いが大きな差になってしまうことはよくある。人と人の出会いや別れはそういったものかもしれない。由夫と延子が結婚したのも、そして由夫が清子と別れたのも  そう言った僅かのきっかけであったと思う。人はそう言ったことを経験して人生にはどうにもならないことがあるのが分かり、執着しないようになってゆくのかも知れない。この小説のなかで小林は由夫の教養を馬鹿にしている。確かに中途半端な教養は人を見下したり、自分を物事に執着させてしまうものである。分かれて1年後に、再びあった清子とどうなるかは、この小説が絶筆であるため誰にもわからない。

夏目 漱石

青空文庫

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