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2007年7月26日 (木)

月と六ペンス

なんだか小説が読みたくなってこの本を手にしました。まだ若かりし高校生の頃読んで面白いと思った本です。考えてみると高校や大学の頃は、いわゆる名作というのを面白く読めた。ところが社会人となり仕事が忙しいせいか、人生なぜ生きるといったテーマの小説よりどう生きるといった歴史小説や自分が関心のある分野、最近は素数や無限といった具体的なテーマでないと読めなくなってしまった。小説という虚構の世界よりも実際の人間が生きたものにしか共感を覚えなくなったのか。それだけ余裕がない生活をしているのだと思います。

さて、「月と六ペンス」ですがモームの人生に対する皮肉が痛烈です。ストリックランドが天才だという評価が下ると彼の元妻は、私は彼の妻でしたと周りの人に分からせようとする。実生活でもこの類の話には事欠かない。小説の語り手である私がストリックランドの絵を最初に見せられたその時は理解できなかったことを言い訳がましく言う辺りは実に滑稽である。このような描写がこの小説の真骨頂であると思う。

ストリックランドが無名だった頃から彼の天才を理解していた極めつめのお人よしのストルーフェ。モームはこの小説のなかで親切だった人が突然犯罪を犯したり、意地悪をしたりまた逆に悪人が善行をしたりと人生は如何に矛盾に満ちているかというようなことを言っているし、確かにその通りと思うがことストリックランドとストルーフェに関しては当てはまらない。前者は徹底した悪人だし後者は何をされようとお人好しである。

あとがきの中でゴーギャンとストリックランドは共通点よりも相違点の方が多いと書かれている。ゴーギャンは妻子を捨てたが、子供や妻に対する愛情は別れてからもありそれは深いものだったらしい。彼の絵が人の心を打つのは見る人がそういった人間くささ、愛情を感じるからであると思う。音楽であれ絵画であれまた彫刻にしても偉大な芸術は人の心を動かす。偉大な芸術家はそれ以前に偉大な人間であると思う。ただ偉大な芸術家はいないのではないか?そういった意味でストリックランドに人の心を打つ絵が描けたのというのは小説の世界でしかないことだと思う。でも皮肉屋のモームの芸術家の理想像はストリックランドであったのであろうか。

月と六ペンス (地球人ライブラリー) Book 月と六ペンス (地球人ライブラリー)

著者:ウィリアム・サマセット モーム
販売元:小学館
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2007年7月15日 (日)

ハイゼンベルクの顕微鏡

本書は速度と位置を同時に知ることはできないというハイゼンベルクの不確定性原理を小澤が再検証し新たな不等式を提案したことを解説したものである。量子レベルでは速度と位置がもともと揺らいでいるのか、あるいは電子のようなようなごくごく小さなものの測定をするために光を当てると速度と位置が変化してしまうのかは同じようなことを言っているようでも異なる。ハイゼンベルクの論文はもともとは後者の意味であったらしい。そのあと直にレナードは前者の意味で数学的な裏づけを行いハイゼンベルクもそれを支持したということである。大雑把に言えば「小澤の不等式」は両者を取り込んでより一般的な数式にしたものと言える。

本書ではハイゼンベルクは量子力学に点睛をしたと表現している。原子や電子の量子レベルの動きに関しては不確定性原理を待つまでもなく分かっていたが量子力学を完成させるためにはハイゼンベルクの不確定性原理が必要であった。なるほど量子力学はなにかという問いかけには古典力学の基本の考えとは全く異なる不確定原理を紹介するのが最適と思われる。

「小澤の不等式」も時代の要請により生まれたと思う。半導体は量子力学の成果であるが半技術の進歩の進歩によりより集積度の高い半導体が作成されるようになると現象と測定を正しく解釈できる理論式が必要になる。また重力波の測定などこれまでとは比較にならない高い精度の測定が必要になるらしい。そのような場合ハイゼンベルクの式では一方がゼロにそしてもう一方は無限大になってしまうということであり事実と合わなくなってしまうということである。

著者の石井も指摘しているが新たな理論は最初は受け付けられないことが多い。そんな中でこの「小澤の不等式」が実証という試練を乗り越えて新たな基本原理となって欲しい。この本は量子力学に貢献したアインシュタイン、シュレジンガー、ランダウ、パウリ、ボーアといった物理学者やヒルベルト、ノーマンなどの数学者のエピソードそして日本の学者や企業の紹介も豊富で面白い読み物となっている。

ハイゼンベルクの顕微鏡~不確定性原理は超えられるか Book ハイゼンベルクの顕微鏡~不確定性原理は超えられるか

著者:石井 茂
販売元:日経BP社
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2007年7月 8日 (日)

「無限」に魅られた天才数学者たち

高校の数学の授業で先生が今度中学や小学校でも「集合」について学ぶことになりましたという話をされたことを覚えています。数学はものを数えたり、面積を求めたりする学問であると思っていた私は、要素がどこに含まれるか、要素の関係は何かといった集合論は論理的な感じがして数学世界の大きさに驚いた覚えがあります。

さてこの本のテーマは「無限」ですが、無限の種類も無限にあるというのは驚きです。

たしかに最も身近な存在である自然数の数は無限にあることはなんとなく分かります。今考えた数に1を加えれば更に大きな数があらわれましたから。小数はどうか。これも無限にあるでしょうが、いわゆる有理数について言えば整数と同じ数だけある。(これはこの本のなかでカントールが考えた見事な証明が載っている)しかし無理数は超越数で整数と1対1の対応取れないから有理数の無限より1段高い高次な無限というらしい。さらに数直線上で1と2の間にある点の数と1と3の間にある点の数は同じという信じられない結論が出てくる。なるほどデカルト座標系でx軸の1とy軸の1、x軸の2とy軸の3を対応させれば各点は完全に対応付けがされる。しかし2.5は1と2の間には無い。これ1つをとっても無限はこれまでの延長上にはないことは分かる。

さらにこの無限に魅入られ無限の序数を発見したいと考えたカントールが、孤独な戦いの中、精神を蝕まれたのは無理ないことかもしれない。カントールを引き継いだゲーデルはカントールが証明しようとしたものは現在の数学体系では証明できないことを明らかにしたが同様に精神を病んだ。

この本の著者であるアクゼルはカントールの精神はとても強かったといている。確かに強くなければ実無限というこれまで誰も踏み入れたことの無い世界に踏み出すことは出来なかったはずだ。しかし結果的に証明できないことに挑戦したことは悲しい。神の領域の仕事かもしれない。

「無限」に魅入られた天才数学者たち Book 「無限」に魅入られた天才数学者たち

著者:アミール・D. アクゼル
販売元:早川書房
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